ミラクルブロマンス・國部凌大が表現し続けることの意味──

──自己紹介をお願いします。

 國部凌大(コクブリョウダイ)です。

ラクルブロマンスというバンドでベースとボーカルを担当しています。

平成10年生まれの24歳です。

神奈川県平塚市出身、東京都板橋区在住です。

 

──バンドを始めた経緯を教えて下さい。

高校1年生の秋に小田原のライブハウスで今もミラクルブロマンスで一緒に活動している熊澤くんに出会い、その日は互いに高校の部活バンドで出演していて、その日は特に会話もなく終わったんですけど、Twitterを覗いてみると私が好きだった90年代のパンクやグランジ等の音楽が好きだってことがわかり、互いにそんな音楽がやれてなかった現状もあって自然と仲良くなって、その年の年末にはバンドを始めてたと思います。

そこからすぐ解散してすぐ組み直してすぐ改名してすぐメンバーチェンジしてすぐ解散して…等々断続的な活動を続けて、現在のミラクルブロマンスの体制になってからは1年弱ですが、8年半同じバンドを続けている感覚です。

 

──國部さんの音楽の原体験・楽器を始めたきっかけを教えて下さい。

小学5年生の正月に親戚の集まりの催しでビンゴ大会があって、私が1等で当時最新のiPod nanoを当てたのをきっかけに、生まれながらに好きだったプロレスの入場曲や、当時の流行歌や小学生でも知ってるようなJ-POPのレンタルCDを入れて、友達の家にモンスターハンターをやりに行った帰り道や、夕食後やることがない時に布団の中で聴いてました。

プロレスの入場曲は今思うと相当ハードな曲も多く(G.B.H.やリンプ・ビズキット等)、小学6年生の終わりにはブルーハーツを聴き始めましたが、当時はあくまで誰々の入場曲・J-POPとして聴いていたので、小学生の内にロックに目覚めることはありませんでした。

中学生になってからはYouTubeでMVやライブ映像を観るようになり、ブルーハーツばかり観ていると関連動画にパンク系の動画が表示されるようになり、そこで見たラモーンズのサムネイルにインパクトを覚え(ジョーイ・ラモーンのどアップだったと思います)、観てみると滅茶苦茶音はデカいし、演奏している男達は小汚いバケモンみたいだし、あらびき団やゴッドタンを見るような捻くれた少年だった私の感性に突き刺さり、衝撃を受けました。

明らかにポップスとは違う音楽に出会った私はそこからラモーンズや似た70sのパンクを深掘りして聴くようになり、そこから派生して90sメロコアグランジ、それらに影響を受けた日本のバンドを聴くようになりました。24歳になった今でも音楽の趣向は中学生の頃と変わらないと思います。

 

楽器は中学校に入学してすぐ吹奏楽部に入り、トランペットを吹いていましたが、あまり熱心に取り組んでいなかった為今では吹き方を何も覚えていませんし、そこで理論を覚えることもありませんでした。

中学3年生になった頃にはどっぷりパンクに染まっており、高校では軽音学部に入りたいと考え始めました。最初はベースがやりたかったんですけど、当時の親友が吹奏楽部のドラム担当で、親友の姉がベースをやっていると聞いていたので、天邪鬼だった私は周りと被りたくなかったのでギターを始める事にしました。それが中学3年生の10月です。

パンクスだった私は特に練習や勉強もすることなく独学でガシャガシャ弾き続けて、2022年の5月まではギターを弾いていました。

5月のライブが終わったタイミングで当時サポートしてくれていたベースの子がスケジュールの都合が合わなくなり、無理強いするのも申し訳なかったので、そのタイミングでベースに持ち替えました。

ベース自体はデモ制作で必要だったので昔から持っていたんですけど、そこで真剣に取り組むようになりました。

 

──ミラクルブロマンスは現在ライブ活動を中心に、90sオルタナ・ハードコアの影響を感じさせる大音量でルーズなオリジナル曲を制作していますが、現在のようなジャンルの曲はバンド活動開始当初から行っていたのでしょうか?

バンドを始めた高校1年生の頃はブルーハーツやゴイステ(GOING STEADY)のコピーバンドをやっていました。

高校3年生になる前後に熊澤くんが2分弱のシンプルやパンクを作るようになり、そこからオリジナル曲も交えてやるようになりました。

その時期に同年代でニトロデイ(現・NITRODAY)を筆頭に流行りの邦ロックではない自分達の好きなジャンルの音楽をやっているバンドが沢山いることを知り、当時私は曲を使っていなかったのですが、触発されて私も曲を作るようになりました。

当時私はbloodthirsty butchersART-SCHOOLを好んで聴いており、それっぽいコードを自分なりに使ってそれっぽく作ってました。その時作った曲は思い入れがあるので今でも演奏しています。

私が曲を作り始めたタイミングでそれまでの青春パンク然とした曲から徐々にグランジ然した曲にシフトして行きました。2018年にミラクルブロマンスを結成した頃には現在の方向性は完成していたと思います。

 

──國部さんがバンドをする上で意識している点を教えて下さい。

バンドをやってる人は歌詞・テクニック・理論等それぞれ拘りがあると思いますが、私は快感を覚える爆音・アンサンブルを意識しています。

私は今まであまり歌詞にフォーカスを当てて曲を聴いてきませんでした。日本語も怪しい中学生時代に洋楽ばかり聴いていたので、今でも歌詞よりもメロディや音像に意識して曲を聴く節があると思います。

そもそも多人数が良いと思うような「あるある」の歌詞は根底が捻くれているので好みではありませんし、リスナーの私生活のストレス・悩みに付け込むようなリリックビデオ系のインディーズバンドも私はどうしても苦手です。

サビを歌っている心の支えのフロントマンにお客さんが精一杯肘から拳にかけての部位を上下運動させる光景を見ていると動悸や息切れを起こしてしまいます。前世で何かあったのでしょう。

あと、私は2005年〜2020年の音楽を極端なまでに知らないので、耳が古い自覚はあります。でも、今からその空白を埋める努力をするよりも、私の価値観を信じて精進する方が得策だと思っています。

知らない人が鑑賞しても五臓六腑に染み渡るような爆音と、違うこと考えていても身体が刻んでしまうようなリズムを意識して行きたいと思います。

そして何より中学1年生の私が衝撃を受けるようなバンドであれるように日々精進していきたいです。

 

──最後に今後の展望を教えて下さい。

バンドの体制が変わってから全く曲を作っていなかったので、まずは自分のルーツを振り返り、その上で自分が聴いても納得できる曲を作りたいと思っています。年内5曲が目標です。

音源制作に全く取り組んでいないので、ミラクルブロマンスの名刺となるような音源を年末には作りたいです。

ここだけの話、私は今まで嫌々ボーカルをやっていて、ライブでも全く聴こえないでくれと思いながらやっていたのですが、歌唱力をつければ自尊心も付くと思うので、嫌々練習もしたいと思います。今までお聴き苦しくて申し訳ございませんでした。

好きでも大嫌いでもいいので、1人でも多くの人にミラクルブロマンスの存在を認識してもらえるように日々方法を模索しながら2023年を生きていきたいと思っています。

 

──今回自作自演インタビューを行ってみていかがでしたか?

信じられないくらい気持ち悪いやつだなと思いました。

こんなやつ明日にでも死ねば良いのにと思います。

 

 

https://on.soundcloud.com/XSxSifmU46U3Q2zA9